骨組段階

小説サークル『骨組段階』のブログ。作品情報や設定、小ネタなど更新しています。

07« 2017 / 08 »09
1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.

清き乙女は空と泣く 

清き乙女は空と泣く

2011.07.24 発行。七冊目。

メインキャラ:ヒギリ、ナオキ




※サンプルのため途中で終わります※






******





   プロローグ   空と共に



 家に帰らなかったことを、今更になって後悔しながら、少女は一人泣いていた。
 友達のいる森なら、一人でも寂しくない。そう思った少女は、家の代わりに帰る場所として森を選んだ。けれども、日が沈んだ森は、真っ暗なうえ、驚くほどに静かだった。いつも顔を見せてくれる動物たちは誰もおらず、とぼとぼと歩くうちに怖くて涙が溢れてきた。そんな少女の気持ちに反応するかのように、空に厚い雲が姿を現し、雨を降らせていく。
 ぱらぱらと降り出した雨から逃れるように、少女は木の洞に身を寄せた。狭い隙間に、小さな身体を更に小さくして座り込む。じっと静寂に包まれていると、ますます涙が溢れてきた。
 轟々と雨が降り出すと、少女の涙も止まらなかった。すすり泣きから大泣きへと変わり、「おかぁーさぁーん! おかぁーさぁーん!」と、もう会わないと誓った人の名前を呼んだ。
 やっぱり家に帰ろう。そう思ったが、こんなにも雨が降っていては家に帰れない。そのことがまた、少女の涙を誘った。
 雨はいつか止む。それは少女も知っていたことだったが、どうしてか今はそう思えないのだ。轟々と降り注ぐ雨は永遠に行く手を阻み、自分は二度と、母に会えないのではないだろうか。暗くて寂しい木の洞の中、たった独りで、死ぬまで寂しさに震えるのではないだろうか。
 考えれば考えるだけ、怖くなった。
「おかぁさぁーん! おかぁーさぁーんッ!」
 どれだけ叫んでも、母はおろか、誰も姿を現さない。
 何も姿を現さない。
 ああ、本当に、私は独りぼっちになっちゃたんだなぁ。
 一頻り叫んだ少女は、泣きつかれて鼻をすすった。雨が酷くて自分の声はどこにも届かないのだろう。そう思うことにして、自分を励ました。
 ぐすぐす、と鼻をすする。涙のピークは去ったようだが、止まるまでではなかった。じんわりと目に涙を浮かべながら、少女は空を見上げる。
 轟々と響いていた雨音が治まっていた。雨脚は弱く、ぽつぽつとかすかなリズムを奏でるだけである。
 そんな光景を見て、少女はまた悲しくなった。
(……やっぱり、私は化け物なんだ……)
 抱えた膝に顔を埋め、じわりと溢れた涙を必死にこらえる。
 少女の涙は止まらない。
 降り注ぐ雨も、止まなかった。

 

    清き乙女は空と泣く



 懐かしい夢をみたような気がして、巫女は目を覚ました。
 むくりと身体を起こすと、頬が濡れていた。涙を拭い、どうして泣いていたのかを思い出す。ぼんやりとした思考は、つい先ほどまで見ていた夢と同じ形をしている。
 ぽつぽつと、天井を雨が打っている。怖い夢や悲しい夢を見たのは間違いないのだが、どうしても思い出せない。所詮は夢だ。忘れてしまっても問題はないのだろうが、どうしてか巫女の心に引っかかっている。
(大切なことのように思えたけど……)
 そう思った巫女は、必死に頭を捻ったが結果は変わらなかった。「うぅぅん……」と悔しげに唸りながら、ベッドから抜け出す。寝間着から部屋着に着替える間も、頑張って思い出そうとしたけれども駄目だった。
 記憶の糸をどれだけ辿っても、その場が近づくと巫女の手からするりと抜け出してしまうのだ。
 いっそ、夢を見ていたことすら忘れてしまえばよかったのに。そう思いながら、巫女は扉を叩く。
「おはようございます」
 いつものように挨拶をすると、いつものように扉が開く。
 けれども、「おはようございます」と返事をしたのは、いつもと違う衛兵だった。
 鋭い視線に、感情の乏しい表情。機械のような衛兵に少しだけ脅えながらも、巫女は慣れ親しんだ衛兵を思い浮かべる。巫女の思い違いでなければ、今日も彼が戸を開けるはずだ。急用でも出来たのか、所属が変更にでもなったのか、思いつく可能性はいくつもあったが、巫女は彼が心配でならなかった。いかに厳しく接されても、人としての温かみを感じられるあの衛兵を、巫女は気に入っていたのだ。
 そんな、誰かを案じるということすら巫女には出来ない。目の前の見知らぬ衛兵が、彼のような温かい雰囲気を少しでも持っていれば、やんわりとたずねることだって出来ただろう。けれども、目の前の彼は、生粋の兵士のように思えた。
 容赦のない冷たい視線。
 感情をどこかに忘れてしまったかのような表情。
 とってつけたような、微笑み。
 ユエンという上司を真似た、衛兵の仕草が怖かった。
 巫女は少しでも早く、彼との会話を終らせようと、今日の予定を聞きだした。今のところ、巫女の仕事はないらしいが、近いうちに仕事が転がり込んでくるかもしれないそうだ。いつ仕事が来ても良いように、心構えをしておくように告げられる。無理な注文だと思いながらも、巫女はにっこりと笑った。それから、いつくるかわからない仕事に備え、資料室で読書をしたいと告げる。機械的な衛兵はそれを了承し、侍女に朝食を運ばせるので、もうしばらく部屋で待つようにとだけ言い、扉を閉めた。
 一人になった部屋で、巫女は大きくため息をついた。最高の気分を味わったことなど、どれだけ思い出しても思いつかない巫女だったが、朝からどんよりと気分が沈んでいくのも珍しい。やはり、期待が外れるということは、それだけで辛いものなのだと実感する。
 滅入りそうになる気を誤魔化すべく、巫女は窓を開けることにした。カーテンを開き、空を見上げたが、パラパラと雨が降る空はどんよりと暗く、気分転換になんてならなかった。
 巫女はまた、ため息をつく。
 衛兵のいなくなったタイミングと、仕事のタイミングが重なっている。
 偶然だと思いたい。そう思いながらも、巫女の予想は恐ろしい方向へと進んでいく。
 自分の仕事のために、衛兵がいなくなったとしたら?
 巫女はその思考を振り払うべく、慌てて頭を振った。けれども、恐れている結末が消えることはない。
 目の前で、殺される衛兵。
 助けを求め、叫びながら、
 あるいは、
 恨みを込め、叫びながら、
 無惨なまでに、殺される衛兵。
 真っ赤な光景を想像して、巫女は身体を振るわせた。無意識に呼吸が乱れ、眩暈がしてその場にしゃがみ込む。
 ぐらぐらとする頭を抱えた巫女だったが、少しだけ胸のつかえが取れていた。
(私は、人が死ぬ夢を見ていたんだ……)
 恐怖に押しつぶされる感覚に懐かしさを覚えながら、巫女は静かに眼を閉じた。



   △ △ △



 神殿へと続く林道を進む人影が二つ。
 一人は女性のものだった。亜麻色の髪は短く、生気に満ちた黄金色の瞳がより快活な少年を髣髴させる。けれども彼女を少年と表現するには、いささか身長が高すぎた。ただでさえ高い身長は、ピンと伸びた背筋のせいでより大きく見える。平均的な身長の男性ならば、彼女と同じ視線で景色を見るハメになるだろう。
 そんな女性――ヒギリは灰色の空を見上げて呟いた。
「うーん……、なんか雨降りそうな天気だなぁ」
 独り言のような呟きだったが、それは隣を歩く人物に向けられていた。
 黒い短髪に黒い服。身内に不幸でもあったのかと思うほどの真っ黒な服装の少年は、ヒギリが見上げたようにぼんやりと空を見上げた。感情の乏しい表情からは、彼が何を考えているか分からない。ただ彼の赤い瞳に灰色の空を映し出しただけだった。
「カサ持ってないしなぁ……。降らないといいけどなー」
「…………」
「まぁ、カサ持ってても、差すと邪魔だから差さないんだろうけどなー」
「…………」
「ナオキー」
 終始無反応な少年に対して、ヒギリは頬を膨らませながら名前を呼んだ。対する少年は、やはり無言のまま振り返り、『どうしたんだ?』と言わんばかりに小首を傾げる。
「どーしてそう、ノーリアクションなんだよ」
「……何が?」
「何がって、会話だよ会話! ツッコミどころがいくつもあったじゃないか!」
 少年――ナオキは少しだけ眉間にシワを寄せ、再び首を傾げてみせた。どうやら思い当たる節がないらしい。
「……まぁ、いきなりツッコミなんていうハイレベルなことは出来なくてもだな、せめて相槌ぐらいは打ってくれても良いんじゃね? つまらない通り越して寂しくなるじゃん」
「…………ふぅーん」
 そのため息のような相槌はどうなのかと思ったヒギリだったが、無言で頷かれるよりはずっとマシである。
「そうそう、そういう感じで相槌打ってくように!」
 その発言に対してナオキはノーリアクションだったりするのだが、ヒギリは気にしないことにした。少しずつ慣らしていけば良いのだ。自分にそう言い聞かせる。
「さて、ナオキ。ここでちょっとおさらいしておこうか」
「……おさらい?」
「あたしたちの任務は、糸の除去とそれに群がるクリートの排除だ。この世界に糸が溢れていることは確かだけど、どこから糸が溢れているかは分からない」
「わかる」
「む?」説明中に口を挟まれて、ヒギリは首を傾げた。「糸がどこから溢れてるか分かるのか?」
「なんとなくでわかる」
「……本当なら、糸が関与してそうなところを見つけ出す必要があるんだけど」
「わかる。この先」
 それだけ答えて、ナオキはスタスタと足を進める。ヒギリは、慌ててナオキを追いかける。
「それはさ、あたしが進んでたからっていう理由で分かるとかじゃないよな?」
「ヒギリがいなくてもわかる」
「根拠はあるのか?」
「勘」
「……ほほぅ」
 ナオキの後を追いかけながら、ヒギリはガブリールに言われていたことを思い出していた。
 世界の源と言われる赤い糸。化け物が群がるともされるその糸が視える人は少ない。テイラーであるヒギリは、糸を視ることが可能であるが、それはルチルクォーツという魔法石による能力だ。ヒギリ個人の力では、糸の力を察知するどころか見ることすらかなわない。
 けれどもナオキは、ルチルを持たずとも糸を視ていた。漠然とではあるが、その存在も察知出来るのも潜在能力の高さが影響しているのかもしれない。ヒギリは目的地を知っているが、そこにあるであろう糸の気配を感じることは出来ない。
「むむー。……ってなると、糸の見つけ方は教えなくても大丈夫なのかぁ」
 ヒギリが呟くと、ナオキは無言で頷いた。
「ん? けどさ。それじゃあナオキは、ガブさんからもらった資料って読んでないのか」
「資料?」
「情報っていうのかな。この辺りの村の特徴だよ。今回は特に、信仰の対象が糸に関与してる可能性が高いって話だったから、目を通すように言われたはずだけど」
 ナオキは何も答えなかった。それどころか、ヒギリと目をあわそうともしない。「む?」少しだけ駆け出して、ヒギリはナオキの前に割り込んだ。
「……やっぱり、お前、資料読んでないだろ」
「……………………読んだ」
「間がおかしい!」
「読んだ」
「即答しても目を合わせてないからダメ!」
 じろりとヒギリが見上げると、ナオキは少し躊躇ってから答えた。
「……読んだ」
「じゃあ、問題。この村の巫女について説明しなさい」
「巫女?」
「初めて聞いたみたいな顔するなぁ……」
「巫女は巫女だろ」
 いけしゃあしゃあと、ナオキは答えになってない答えを口にする。そんな答えでヒギリが納得するはずがない。
「だからー、何の巫女だよー」
「……巫女は、巫女だ」
 ぼそぼそと呟くように答えたナオキは、逃げるように歩き出そうとした。けれどもヒギリはそれを逃さない。ささっとナオキの前に立ちふさがって、口をへの字にする。
「読んでないなら、素直に言いなさい」
 逃げられない質問に、ナオキは口を閉ざしたままだった。それから何をするかと思えば、スッと自らの両手で両耳を塞いでみせる。
 聞か猿のポーズである。
「こら、ナオキ! 耳を塞いだからって、拒否権が得られるワケじゃないんだぞ!」
 ってか、その程度じゃ音は防げないだろ! とヒギリはナオキの耳を開放するべく、腕にしがみついたが効果はない。
「うぐぐぐ……! いい加減諦めて白状しろ!」
 ナオキの腕にぶら下がりながら、手の平さえも突き破る大声を発するヒギリ。
「怒らないから! 怒らないから素直に認めろ!」
「……聞こえない」
「いや、聞こえるだろ! どう考えても聞こえるだろ!」
 ギャアギャアとヒギリが大声で喚くと、ナオキは、
「…………うるさい」
 そうぽつりと呟いて、顔をしかめてみせた。
「やっぱり聞こえてるんじゃないかぁぁぁっ!」



  ▽ ▽ ▽



 ぱらりとページをめくりながら、巫女はぼんやりしていた。
 資料室という名の書庫には、沢山の本が置かれている。その一角に置かれた心ばかりのテーブルと椅子が巫女の定位置である。すぐ隣にある窓へ視線を向け、目の前の書物ではなく自らの思考に集中する。
 消えた衛兵は無事なのだろうか。巫女の頭はそのことで一杯だった。薄っすらと窓ガラスに映る自分の顔を眺めながら、なんとか感情を整える。
(大丈夫。偶然だよ。ただの偶然……)
 そう言い聞かせる巫女だったが、自分の顔は恐ろしいほどに無表情だった。血の気も少なくなった青白い顔は、これっぽっちも『大丈夫』だなんて思っていない。重苦しい心に押しつぶされる思いで、巫女は長いため息をついた。
 本を読もう。思考を切り替えるべく、巫女がはじき出した答えはそれだった。書物へと視線を移す巫女だったが、その視線は物音のせいですぐに外れた。
 扉の閉まる音だろうか。誰かが出入りしたような気がした。不審に思った巫女は、本にしおりを差して立ち上がる。
「……誰か、いるんですか?」
 自分がここにいることを、皆は知っているはずだ。そんな時に資料室を利用しようと思う者はいないはずだし、たとえ必要にかられてここへ足を向けたとしても、無言で入室するはずがない。
 呼びかけた巫女自身、返事を期待していなかった。案の定答えが帰ってくることはなく、人の気配も感じられない。
「……空耳、かな?」
 そう呟きながらも、巫女は扉に近づいた。傍にあった本棚の影などを覗き込みながら、物音のした場所へと進む。
 すると、外から足音が聞こえることに気がついた。いつになく慌ただしい足音を珍しく思いながら、巫女は扉を開いた。
 ぴょこりと頭だけを出し、廊下の様子をうかがうと、鬼気とした表情の兵士達と目が合った。
「どうかしましたか?」
 巫女が首を傾げると、一人の兵士が低い声で答えた。
「侵入者です」
「侵入者?」
「ええ。こちらに走って行った者を追っているのですが、見失ってしまって……。巫女は見かけていませんか?」
「いいえ。今、扉を開けたばかりだから……」力になれないことを申し訳なく思いながら、巫女は兵士に言う。「侵入者って、どんな格好をしていました?」
「私達もハッキリ見た訳ではないのですが、亜麻色の髪に赤い服を着ていました。まだ近くにいると思われますので、巫女はそこから動かないで下さい」
「はい」
 そう頷いた巫女は、武器を片手に駆けて行く兵士達を見送った。それから、首を伸ばして廊下の奥を覗いてみると、同じような兵士達が行ったり来たりしている姿を目撃した。どうやら巫女が気づいていなかっただけで、神殿内は大騒ぎになっていたらしい。あっちへ逃げた、こっちで見かけた、などという兵士達の情報が、廊下を反響して巫女の耳にも響く。
 いつになく賑やかな様子に、巫女はもう少しこうして廊下を覗いていたいものだったが、走り去る兵士に睨まれてしまっては続けることは難しい。仕方なく資料室へと戻り、扉を閉めた。
 流れ込んでいた喧騒は幻だったようだ。静まり返った資料室はいつも通りで、あまりの代わり映えのなさに重たい気分がより重くなったように思える。
 決して、何も変わらないのだ。
 侵入者が現れようとも、巫女の日常に変化はない。
 空しい毎日が繰り返されるだけ。
 物語のように、勇敢な騎士は現れないのだ。
(……おかしいなぁ)
 淡い期待は、とうの昔に消えたと思っていたのに。微かであろうと、まだその光が残っていたことに驚きながら、巫女は机に置いた本を手に取る。
 内容を完全に覚えてしまうほど繰り返し読んだ本だ。お姫様に恋をした少年が騎士になり、再会する。両思いの二人がようやく一緒にいられると思った矢先に姫がさらわれてしまい、それを少年が助けに行くのだ。
 巫女は姫ではない。巫女は巫女でしかないのだが、どうしても自分を姫と重ねてしまう。想い人である騎士と引き裂かれた時は、巫女の心も引き裂かれる思いになるほど、自分自身を投影してしまっている。
 だからこそ、侵入者という存在に、期待してしまったのだ。
 自分のことを好きになってくれとは言わない。
 せめてここから、救い出してくれれば――。
 繰り返す日常から連れ出してくれれば――。
「……そんなの無理なのにね」
 夢は夢でしかなく、今朝のように消えてしまうのだから。
 巫女が大きなため息をつくと、頭上から「うぉ?!」と声がした。驚きのあまりびくりと身体を跳ね上げながら、巫女は頭上を振り仰ぐ。
 目に入ったのは、人。
 人が落ちてくる。その光景に驚いたのか、巫女の視界はひどくゆっくりと動いていた。時間の流れが変わったかのように、一瞬の光景がひどく長く感じられる。
 短くサッパリとした亜麻色の髪に、動きやすそうな赤い服。彼女の姿は、どれをとっても巫女にとって馴染みのないものだったが、何より一番珍しいと思ったのは彼女の瞳だった。
 黄金の瞳が、キラキラと輝いていた。
 一変の曇りも、澱みもなく、ただ真っ直ぐに輝いている。
「……おっと!」
 すとん、と、彼女が危なげなく着地をすると、巫女を取り巻く時間の流れが元に戻る。
 目の前の女性――侵入者であるはずの彼女は、気まずそうに巫女を見上げながら立ち上がった。
「えぇぇと……その……」
 悲鳴も上げず、ただ目を丸くして固まってしまった巫女を見ながら、女性はごにょごにょと話しかけた。
「怪しいやつじゃないからな? ほんと、何もしない! 何もしないから、出来れば悲鳴とかあげないでほしいなーとか思うんだけど……」
 外の兵士を気にしてだろうか。女性は小さな声で巫女に言った。声量は小さいはずなのに、彼女の声は巫女の耳にはっきりと届いた。
「……貴方は?」
 巫女が辛うじて出した声は、そんな言葉だった。女性は悲鳴を上げられなかったことに安堵したのか、少しだけ表情を和らげて答える。
「ヒギリ」
「ヒギリ、さん……」
「ちょっと色々あってね。神殿の中を調べたかったから入らせてもらったんだけど、まー、警備の厳しいこと厳しいこと」
 ヒギリはそう言いながら、やれやれ、と肩をすくめる。それから「やっぱり、正面突破は無理だったかー」とのんびりとした様子で呟いた。
 やはり彼女が侵入者なのだろう。巫女は確信した。けれども、どれだけ頑張っても、ヒギリが『悪い人』とは思えない。
 物語の騎士に、彼女を重ねている訳ではない。巫女が記憶する限り、真っ直ぐな瞳で笑いかけてくれた人に、悪い人は一人もいなかったのだ。
 だから巫女は、ほっとしながら話しかけていた。
「ヒギリさんは、兵士に追われていたのですか?」
 出来るだけ小さな声で、廊下を走る兵士に聞こえないようしながら言う。少しでも声が届かないようにと、扉から遠い窓側への移動も忘れない。
「そうそう。早い段階で見つかってさ、二手に別れて逃げてきたんだよ。そんで、人気のなかった部屋に逃げ込んだんだけど、君がいて――」
「仲間の方がいらっしゃるんですか?」
 巫女は思わず聞き返した。ヒギリは何か言いたそうに口をパクパクさせてから、「うん、あたしだけじゃないよ」と巫女との会話を続けた。
「ナオキって仲間が逃げ回ってるはず。普段はぼーっとしたヤツだけど、やる時はやる奴だから、まぁ大丈夫だとは思うんだけど……」
 そう言いながら、ヒギリはちらりと扉の方へ視線を向けた。巫女も扉へ意識を向ける。慌しい足音が近づいてきたかと思うと、扉の前でピタリと止んだ。
 コンコン。小さいはずのノックの音がとても大きく聞こえる。巫女の心臓はびくりと跳ね上がった。
「巫女。よろしいですか」
 顔をしかめるヒギリを押しのけて、巫女は扉の前へと向かう。それから、迷うことなく、ガチャリと鍵をかけた。
「巫女?!」
 兵士は驚いたような声を上げながら、ガチャガチャとドアノブを捻り、鍵をかけられたという事実を再確認している。
「何ですか?」
 巫女は落ち着いた声で返事をした。
「先ほどの侵入者がこちらに逃げ込んだ可能性があります。中へ入れてください」
「この部屋は私しかいません。先程きちんと確認しました」
「念の為、もう一度我々が確認します」
「必要ありません」
「しかし……!」
「ユエンから聞いていませんか? 仕事が近いのです。私の邪魔をしないで下さい」
 少しだけ申し訳ない気分になりながらも、巫女は強い口調で言った。その口調が利いたのか、それとも彼の名が利いたのかわからないが、扉の前にいる兵士はしばらく押し黙ったあと、「かしこまりました……」と低い声で答えた。
 巫女は扉に耳をあて、彼らが立ち去ったか確認する。パタパタと力なく去っていく足音を耳にして、巫女はほっと息をついた。
「これで大丈夫」
 そう言いながら振り返ると、ヒギリが目を丸くしていた。
「大丈夫って……」
「といっても、少しだけなんですけどね。今は退いてくれましたけど、ここの鍵は外にもありますし、なかったとしても、押し入ろうと思えばいくらでも入れちゃいますから」
 そう苦笑しながら、巫女はヒギリに言う。
「ヒギリさん。一刻も早く、仲間の方と一緒に逃げてください。今はユエンが――この神殿の管理者が不在なので警備が手薄ですが、もうすぐ本隊が戻ってきます。だから、絶対に捕まらないで下さい」
 巫女は本心を口にしていた。侵入者に対して捕まらないで下さいと願うのは、自分の立場としては大いに問題があるような気がしたが、それでもこれだけは譲れなかった。
 切実な様子で頼まれたヒギリは、口をつぐんで頷いた。
「ごめんね。――それと、ありがとう」
 笑っているのか、泣きかけているのか――そんなよく分からない様子で顔を歪めてから、ヒギリは踵を返した。巫女の読書スペースに向かったヒギリは、締め切られていた窓を開放する。
「ヒギリさん……! まさか、窓から逃げる気ですか?」
「だって、扉は兵士に見張られてるだろ? だったら、窓から逃げるしかないじゃん」
「そ、それはそうですけど……。でも、ここ、三階ですよ?!」
 ヒギリがたてつけの悪い窓をガタガタと開ききると、ごうごうと湿った風が資料室に吹き込んできた。その下に広がる景色が彼女に見えていないはずがないのに、ヒギリはにっこりと微笑んで「大丈夫、大丈夫」と答える。
「あたしこれでもテイラーだから、身体は丈夫なんだよね」
「テイラー……?」
「説明すると長くなるけど、ようは『正義の味方』かな?」
「正義の、味方……?」
 真剣に呟き返した巫女を見て、ヒギリはくすくすと笑った。
「っていうほど、大仰なもんじゃないかもしれないけど」
「ど、どっちなんですか!」
 少しだけムッとした巫女を見て、ヒギリは「あはは」と声を上げて笑った。
「でも、あたしはそうありたいと思ってる」
 曇り一つない真っ直ぐな瞳で、ヒギリはそう笑った。
「だから、あたしを助けてくれた君も、正義の味方だな」
 そう微笑まれて、巫女は固まってしまう。
 何も言葉が出てこない。
 言いたいことは沢山あるのに、また、巫女を取り巻く時間だけが止まってしまっていた。
「それじゃ、ほんとありがとな!」
 そう手を振って、ヒギリは何の躊躇いもなく窓から飛び降りた。驚きのあまり、巫女の時間が再生される。慌てて窓に駆け寄って、ヒギリの姿を探した。
 窓から飛び出したヒギリが、空中を落下している姿を目にした。喉から飛び出しそうになる悲鳴を抑えながら、巫女はその姿を目で追う。
 空中を落下しながら、ヒギリが剣を抜いた。キラリと刃が輝いたかと思うと、落下速度が失速する。ぐん、と、両膝を折り曲げた彼女は、あろうことか、その場で跳躍してみせた。
 トン、と。見えない足場でもあるかのような身軽さで、ヒギリは跳躍を続ける。トン、トン、トン。何度も何度も失速を繰り返しながら、ヒギリは遥か下にある地面に着地した。
「ど、どうなってるの……?」
 思わず呟いた巫女だったが、それに答えてくれる人は誰も居ない。出来ればヒギリに確めたかったが、そんなことをしては兵士に見つかってしまう。
 危なげなく着地したヒギリは、くるりと巫女へ振り返った。驚いた顔の巫女を見て、彼女はブイサインをしてみせる。
『な、大丈夫だったろ?』
 そんな声が聞こえてくるような笑顔を見て、巫女は思わず吹きだした。くすくすと笑いをこらえながら、「頑張って」とヒギリに手を振った。




   (2~12P)

 


スポンサーサイト

category: ◆小説(文字系ネタ)

2011/08/07 Sun. 16:23 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

コメント

go page top

コメントの投稿

Secret

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://honegumidannkai.blog.fc2.com/tb.php/151-b6c96d0a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

go page top